桜桃の味

果たして、この世が俺に何を与えてくれたであろうか。
俺は日々、己の生い立ちに、この世に平然と居座る悪に、
何食わぬ顔で人の心を掻き乱す他人に悩み、深い傷を負って生きてきた。


何故俺は生まれ、何故俺は生きる。


疑念の蓋はこの苦海の底に沈み、
もはや姿を現さぬのではないかと思われた。


ところが、芸術と謂うひとつの神が俺の前に現れ、洗礼を与えた。


『お前は美しい満月を忘れることができるのか。
自然が無限に与えてくれた桜桃の味を忘れることができるのか――』


生きるべき理由はこんなにも近くにあったのだ。


生きれば生きるほどに悲しみが溜まる一方で、
昇りまた沈みゆく陽の美しさに、
しんしんと輝く冬月の白さに、
濃密であり続けるあの桜桃の味に、
常に身体を向け歓喜してきたのは俺自身ではなかったのか。
俺は今まで何を生きてきたと云うのだ。


悲しみしか映さぬ鏡はもう捨てた。


この世に生まれた偶然と謂う名の必然。
新しい鏡を持って俺がこれから生きるのは、紛れもなく『未来』なのだ。





ま、取るに足らないことですが、色々ありまして、
お先生、学生時代に書いた詩を思い出しました。
このようなことを書きながらも、
桜桃の味だけでは満たされない時もあります。

でも、まぁ、象彦で買った万華鏡を見て元気を出すことにします。
こういう出資はケチらずするものですね。
あ、オリンピックでも元気を貰います。
ガンバレ、日本!