帝劇『細雪』/斬り捨て御免!


さて、わたくしこと、お先生は先日、帝国劇場『細雪』を観て参りました。
愛読書『細雪』に出会ってから、
いや、出会う前から舞台の『細雪』はずっと気になっておりましたが、
やはり、みなさん、演劇の世界ってなんか遠いんですよねぇ。
実際にチケットを買って観に行くまでには
その作品が終わってしまっているなんてことはざら。
私は最近になって、やっと宝塚、オペラ、歌舞伎、新派と
重い腰を上げて観に行き始めたら、ハマッターーーー!!!という感じで、
こちらに大金を割きつつあります。
で、そんな流れで、キャスト一新になったことをきっかけにとうとう、初帝劇へ。
ま、今年の末には朝海ひかる様主演の『エリザベート』で初帝劇!
と心に決めていたので、「少し早まった」くらいなんですけどね。

ということで、
私に『細雪』の面白さを教えてくれた友人と共に
マニア心をぶら下げて観に行って参りましたよ。
予め云っておくと、席はB席でした。
私は宝塚以外はS席でないと嫌!ってタイプなので、
観劇史上初のB席だったのですが、
ま、人の勧めとお財布との兼ね合いもありまして、B席に。
でも、心配をよそに、ちゃんと観えましたよ。


さて、ま、なんせマニアですから、なるべ〜く期待をしないようにして行ったのが
ある意味当たってしまいました。

のっけから「???」の嵐です。
まず、原作の冒頭は、
船場の老舗の蒔岡3姉妹(長女・鶴子は除く)が音楽会に行くために
豪華な着物に着替えているシーンから始まります。
そこで、次女・幸子の着替えを手伝う四女・妙子が
「中姉ちゃん、その帯締めて行くのん。いつやったかピアノの会にもそれ締めて行かはった時、隣で中姉ちゃんが息するたんびに帯が
キュウキュウ云うねんが」ということで、観世水模様やら露芝やら豪華な帯をそこら中に拡げて、
「あの帯やったらどないやろか」「あかん、また鳴るわ」「この帯やったら大丈夫やろか」「これもあかん」と、
あーでもない、こーでもないと云いながら、次々と帯を巻きかえていくのです。
まぁ、そこで蒔岡4姉妹の内情やら(あと、爆笑の「B足らん」シーンとか)が絡めて書かれるのですが、


舞台版は?と云うと、冒頭は法事のシーン。
4姉妹は揃いの喪服を来て黒の喪服帯を締めています。
紋付の色は赤紫色から韓紅と云ったようにグラデーションで
それぞれが少しずつ違った色合いの着物なのですが、
驚いたことに、ここで
鶴子から自身の帯がどれに付け替えても「キュウキュウ鳴るねんわ」との発言が!!

自分で云っちゃったよ!
おいおい!喪服帯だよ!?
一体何本持ってるんだ?
法事用の喪服に併せる帯がキュウキュウ鳴るから
あっちの帯だ、こっちの帯だ!なんて話どこから持ってきたのよ!
と暫く「????」が止まりませんでした。
だって、喪服・帯をいくつも持ってるなんて
いくら老舗の娘(とう)さんだからって、旧家でもそんな話、聞いたことありません。縁起が悪いでしょ?
のっけから、こちらのテンションはしっかりダウン↓。

そんなこんなで、もう最初の豪勢で華やかな話がこれだけ暗いものだから、
あとはこれ以上に暗くなるばかり。
勿論、原作の中にも戦争の影はちらつきます。
しかし、それは光あってこその影。
しかも、その影は薄く、華やかな4姉妹の光に消されてしまいそうな程。
原作では、何か問題が起こると大抵、鶴子の夫・辰雄の所為にして(妻の鶴子も何処吹く風、この人、実は一番悠長なんです。)、
姉妹たちはどこか他人事のような感じでもあり、そういうところで「お嬢様なんだなぁ」と感じるのですが、
舞台版では何が起きても長女・鶴子を他の姉妹が攻め立て、その鶴子はと云えば、古い「しきたり」を他の姉妹に強要するばかりで
姉妹思いはどこかちぐはぐです。


特に、これはあかんな、思ったのが、
長女を産んでから十年近くも子供が出来なかった幸子が妊娠するが、
流産してしまう話。
原作では知人の奥さんを見舞うべく友人と六甲越えをバスでしてしまったために、
残念なことに流産してしまい、幸子はそんな不注意な自分を責めるという独立した話なのですが、
舞台では洪水の際に妙子を助けた後に恋人になる板倉が、その洪水の所為で足を怪我し(原作では洪水と怪我は無関係)、
病気にかかって亡くなってしまったところで、
妙子を慰めるために幸子が「私かて、先に流産した時、とても悲しくて辛かったよってに、こいさんの気持ち分かるわ」と自分の辛い話をするのですが、
妙子は「中姉(なかあん)ちゃんに私の気持ちなんて分からへん。一緒にせんといて」と云ってしまうのです。
するとそれを聴いていた雪子が出てきて、
「中姉ちゃんが流産しはったのは、こいさんのところへ(○の為に((何て云ってたか聞こえなかった…))
急いで行くためにタクシーに乗らはったからなんやで」と。
「雪子ちゃん、それは云わんといて」と幸子。
妙子はそれを聞いて愕然とします。
「私はなんて悪い女なんや。怖い女なんや」
自分の所為で板倉と、幸子の子が死んだと思った妙子はそのまま家を出てしまうのです。

とまあ、こんな具合でどうにもこうにも、まったく救いがない、悲劇になってしまいました。
いや、悲劇は悲劇で良いんだけど、
原作とはまったく違うのでどうしてもそのギャップが自分では埋められんのです。

そんなことをしたら、一生、妙子が幸子に対して罪を背負って生きていかなあきまへんやないのん!と。

他にも雪子が最終的に結婚にまで至る見合い相手との出会い方や、
啓坊への手切れ金を女である幸子が直接家で渡してしまうこと(原作では夫の貞之助が外の店で渡す)、
なんと云っても、辰雄が東京へ転勤することになった為に、
船場の実家を売ってしまうこと(原作では、いくら自分たちが引っ越すからと云って
歴史ある自分たちの実家を人手に渡すことなど到底できないので、昔世話をしていた者に住んで貰った)など、
絶対にあってはならないことへと次々と書き換えられ、
もう、旧家とか徳川から続く豪商とか、そんなのどうでもいいの?!と思いたくなるような物語に
どんどんと変えられてしまったのは何故なのか。
誰か知っていたら教えてください。そしてそれは脚本の菊田一夫の意思なのか???
そうなんです!脚本はあの菊田一夫なのです。
昨日や今日出てきた若手の脚本家ならまだしも、同じ原作物の『放浪記』の脚本・演出を長きに渡って手がけた筈の
演劇界の超大物劇作家なのですよ!!
いやいや、確かに当方、谷崎潤一郎の『細雪』のマニアではあります。
原作と舞台は別。それも承知しております。
でもね、昨今の原作有りのおざなりなドラマ作りに怒り心頭!仕舞いには辟易していたこちらとしましては…、


原作の美味しいところだけ舞台にしても、なんにもならへんで!
こないに原作書き換えるんなら、オリジナルストーリーで勝負せんかい!
せっかくの優雅なおもろい話が台無しやないのん!
『だす』『だす』って原作では、そないに何遍も出てきやしまへんで!
あないに運命的な出会いなら、そら雪子ちゃんもすんなり結婚しまっせ!
『雪』踊る時のこいさんの衣裳、なんで黒の着物やのん?
ほんまは白地に天橋立の絵描いた着物でっせ!
あれでは鶴子姉ちゃんがただの煩い小姑やないのん!
壇ちゃん扮する雪子ちゃん、
なんであないに「ふーーーーーーん」て云わはるのん?
原作には「ふん」しか書いてあらしまへんやないのん!
あれじゃ、お客さんの笑いもんでっせ!

ぜーはー、ぜーはー…
と、どうにも納得できやしまへんねん!


まぁ、色々と認めてまいりましたが、
なんだろ、私たち原作が好き過ぎていけないのかしらん?と
こっちに責任があるかのようにさえ感じてしまったのでした。
でも、まぁ、騙されたと思って原作を是非一度お読みください。
人に薦めるとき、なぜか「谷崎潤一郎ってイヤラシイんでしょ?」と誤解されてしまうのですが、『細雪』は違いますよ!
本当に純粋に何も考えずに読んで頂けて、
長さは『カラマーゾフ兄弟』の半分くらいもあるのですが、
そんなことも気にならないくらい、面白くてはちゃめちゃな作品です。
作家なら一度はああいう作品を書いてみたい!と思うはず。

さて、余談ですが、
一緒に観劇した友人の元女優(あえて「元」と云いますが、女優は辞めても「女優」だと思う)が
「幸子役の賀来千香子は、なんであんなに噛んで含めるような言い方するの?
『ね、ねええちゃん!』ってさあ」
とそりゃもう、絶妙な真似をしていたのですが、
そこにお齋藤さまがいたら、二人して「マシンガンズ」ばりに


賀来千香子はいつもそーだからっ!!!


と声を揃えて突っ込んでいたでしょう。