初心に戻って語ってみました。テレビと『泣き』『笑い』〜与太郎泣き篇〜

お先生:お齋藤さま、おはよう。
お先生は1ヶ月以上浸かっていた『カラマーゾフ兄弟』風呂からやっとこさ上がり、
今、お借りしたナンシー関×リリー・フランキーの対談集『小さなスナック』を
読んでいるところです。
あれ、電車で読むと本当に毒よねぇ。


お齋藤 :おはようございます、お先生!
カラマーゾフ』から『小さなスナック』とは、また大きな振り幅で…。
しかし、電車で読んではいけませんよ。
確かわたくしも総武線車内で顔を歪めつつ読んだ記憶が…。
それまでリリー・フランキーって『ココリコ・ミラクルタイプ』でしか知らなかっ
たけど、あれでわたくしの中の人物像は固定されましたわ。


先:ねぇ〜。
私もリリーの文章読んだのほぼ初めてだったんだけど、
ナンシーの世界にしっかり絡んでこられる人で嬉しいよ。
まぁ、その対談集を読んでいて、
「あ〜、私たちがブログを立ち上げた趣旨ってそもそもこんな感じを目指していた
んだったわ」と改めて感じさせられ、原点に戻ろうと思ってこれを語っている訳な
んです。


齋:成程。元々二人で語っていたことを折角だから皆様にも読んでいただこう、と
いう風なお話だったのよね。
ほんの一般人が発信するのに“ブログ”という丁度手頃なツールも存在して。


先:そうそう、そうなんです。
まぁ、最近お疲れ気味なのか、愛する程のドラマがないのか、
やっつけ仕事が多くなって。、
でもさ、「本当は大した題材がなくても楽しいじゃない、うちらは」ってことが趣
旨だったのよね。
ということで、前置きが長くなったんですけど、
今回は「テレビと泣き笑い」について語ろうかと。
ナンシーは泣いたり笑ったりってことが少ない子供だったみたいで、
ある時『ケンちゃんシリーズ』で物凄く感動したことがあったのに、
「自分は泣かない子」とカテゴライズしてしまったために
仕方なく、土間に出て泣いたんだって!


齋:あぁ、あるある!まあ“泣くな”と思うカテゴリって人それぞれあるでしょうが
不意打ちで泣いてしまうテレビってありますな。
…流石に逃亡しないかも知れないが、泣いていると悟られたくないのもわかる。
わたくしもテレビではあまり泣かなかったけど、高3のとき『鬼平犯科帳
(レギュラー放送)で泣いたことがございます。
お先生もそんなことありましたか?


先:すいません。
お齋藤さまは私が意外と涙もろいって知ってるでしょ?
今週の『薔薇のない花屋』でも雫ちゃんの涙に貰い泣きしてしまいました。
でも、『鬼平』のどの回で泣いたのよ?


齋:そのとき昼に再放送されていた『熊五郎の顔』という回で。
同心だった夫を悪漢に斬られた未亡人(音無美紀子)は、幼い息子を抱えて
小さな茶屋を一人で切り盛りしているの。
ある日大阪から来た行商(高橋長英)が店で病気になったのを助けて、
やがて懇ろに。
子どもも懐いてくれるし、向こうもひとり身。
彼は大事にしているお守りを渡し、
「大阪から戻ってきたら一緒になってください」と。
仏壇に向い、一人「亡くなったおまいさん、いいですか?」となったところに、
亡き夫のかつての上司・鬼平が現れ、こう告げる。
「あいつを殺した熊五郎がまた江戸に働きに来るらしい。必ず敵を討つからな。」
やっとできあがった人相書きに描かれていたのは、愛しいあの男の貌…。
ここから未亡人はすごく葛藤するんだけど、結局鬼平熊五郎を捕らえて死罪に。
男から預かったお守りを家の裏の川にええぃっと投げ捨てたとき、息子の声が。
「おじちゃんが帰ってきたよー!」
どうやら彼と熊五郎は生まれてすぐ生き別れになった双子の兄弟だったらしく、
このそっくりな顔のせいで熊五郎捕縛まで関所で足止めを食っていたとのこと。
「あらいやだ!お守り!!」…って感じで終わるんですけど…。
もう、お守り捨てたあとの哀愁から彼の帰還のところでダダ泣きしてしまいましたわ。
鬼平』で“泣く”までいったのは後にも先にもあの回だけだったな。


先:おお!!『熊五郎』!!
覚えていますよ、長英!!
最後の、双子だったことは思い出したけど、
そんな感動的な話だったことは忘れてしまいました。
私は「おまさ」の忘れられない恋人が現れたって話が結構思い出深いなぁ。
でも泣かなかったけど。
ちなみに、再放送していた『都会の森』でも、
最後の最後、高島正伸が父親の佐藤慶と晩酌するところで泣きました。
あと、私がバイクに乗れなくなった理由である2時間ドラマの話、
題名は忘れちゃったんだけど、バイクに乗っていた息子が事故にあって
亡くなってしまって、
バイクの音が外でするたびに、息子が帰ってきたんじゃないかと
玄関に走って迎えにいく、という
浜木綿子のお母さんシリーズみたいなやつを小学校の頃見て、
家族で大泣きして「ね、だからバイクに乗らないでね」って母親に言われて
将来バイクに乗ってはいけないって決定されちゃったドラマを思い出します。


齋:あー、浜木綿子のおふくろシリーズは涙腺にきますね。
でも、あれって障害をもった子どもに浜木綿子ママが一喜一憂、って
イメージだったけど、亡くなってしまう話もあったんだ…。
確かにそんなものを観てしまったらバイクに乗りたくなくなるかも。
『都会の森』…佐藤慶は本当に超えるのが難しい父親だから、余計泣けるだろう。
母親といえば、家の母親は涙もろくて、結構色々なテレビで泣いていたなぁ。
今は亡き『カネボウ・ヒューマン・スペシャル』なんかは毎年ティッシュの箱を
空にするほど号泣していましたわ。
あれって、手記を基にドラマ化するから、すべて実話なんですよね。


先:いやいや、実際のおふくろシリーズではありませんよ!
カネボウ・ヒューマン・スペシャル』あったねぇ。
それとは違うけど、『君の手がささやいている』も結構泣いていたような気がする。
なんか、これじゃ、「泣けるドラマ」の羅列になってしまったわね。
ところで、『泣ける筈のドラマ、NO,1』の『世界の中心で愛を叫…』んじゃう
やつはどの辺が泣き所なんでしょう?
なんかあれで、ドラマと映画の歴史が変わってしまいましたが。


齋:ああ、あれですか…。わたくし、テレビで映画版を拝見しましたが、
1秒たりとも泣けませんでした。…冷たい血?
映像も綺麗だし、登場人物も皆爽やかでいい感じとは思うんだけど、
何だかイメージビデオを観ている感じがしちゃって。
まあ、“恋愛クライマックス時に、最愛の人を喪う辛さ(しかも思春期真っ盛り)”、
“皆のアイドルだった健康な美少女が徐々に弱っていく残酷さ”
“相手が病気という、やつあたりのできないもどかしさ”が泣きどころ?
しかしあれから殊更「泣きましたー!」「泣ける話(or映画)を教えて!」っていう
風潮が強くなりましたよね。まあこちらも「絶対観ないな」とチェックできてよいけど。


先:そういう謳い文句はナンシーとリリーも「自分にとってマイナス因子だ」って
言ってましたよ。
そう考えると、私も含めて4人いることになるわね。
意外と嫌な人多いと思うんだけど、こういうのが大ヒットしちゃうのよねぇ。
なぜでしょう。
リリーは「『タイタニック』は泣いたけど、感動なんかしなかった」って言ってたけど、
確かに、泣くって行為と感動したって感情は違うわね。
でもさ、最近の本とかは「泣ける」と「感動する」をどうしても抱き合わせにして
売ろうとするじゃない?
そんな上手くいかないと思うんだけど。
最近のメジャー層はそこが直結してる人が多いのでしょうか。
まぁ、行為とか感情の選択肢が少ないのかも知れない。
それで思い出したけど、例えばお酒に薬入れて女の人をホテルに連れ込んでも
とりあえず、一般で言う猥褻行為に至るしかない訳でしょ?
寄り添って寝てみるだけとか、ひたすら眺めてみるとか?
他に何かやり方ないのか?
そもそも、何でお酒に薬入れないと女一人ものに出来ないの?と
不思議に思ってしまう。
そこでテクニック磨こうよ、と。


齋:まあ、昏睡させてどうこう…っていうのは今に始まったことではないのでしょうけど、
確かに口説いたり会話で愉しむ手間を省いて即、っていうのはなんなのでしょうかね。
逆に男性だったら同性としてわかる部分もあるのでしょうか。
でもさ。即いたしたいのならば、ソレ用の娯楽店があるのだから、そちらをご利用して
くだされば皆が円満解決していいのに、とは思う。謎です。
“行為や感情の選択肢が少ない”説もそうだけど、“泣く”というある意味恥ずかしい
行為も大多数に紛れちゃえば人前でも恥ずかしくない、っていうこともあるのでは
ないでしょうか。一昔前の流行語、「赤信号、皆で渡れば怖くない」みたいな。
…違うか?


先:ね、下ネタの方はそれこそリリーに聞きたいよねぇ。
日本も昔みたいに、「人前で泣くことは恥ずべき行為だ!
男なら泣くな!泣くなら土間へ出て泣け!」みたいな軍国主義時代に
戻った方が良いのかな?泣く場所が土間かどうかは別として。


齋:まあ、回帰志向から“純愛ブーム”も起きているんでしょうけど。
まず土間を復権させることから始めてもらいましょうかね。
さて、次回は割合に感情→行為の直結度が高いと思われる『笑い』について
語り合いたいと思いますので、皆様、おつきあいくださいませ。