徒然日記【山口小夜子、ルドン、安野モヨコ『監督不行届』】

お先生です。今晩は。
最近、暑さの所為か体力がめっきり減少。毎日うpしていたブログも疎かにしつつありますので、
本日は最近起きた出来事をまとめて綴ってみたいと思います。


先日、大変残念なことに山口小夜子が亡くなった。
この人と共でなければ『KENZO』も『KANSAI』も海外に打って出ることに
完全な成功は期待できなかったであろう、とまずは知ったかぶり。
でもね、ただのジャポニズム的な興味よりも、
『SAYOKO』という最大のビジュアルイメージを得たからこそ、
世界のファッション業界が『NIPPON』というものに目を向けたのではないか、
と思うのである。
それくらい、山口小夜子は強烈な「ビジュアルイメージ」という鎧を纏って生きていた、と思えてならない。
鈴木清順の『ピストルオペラ』に出たときもそう。
江角マキコも勿論美しかったけれど、
清順の映画の世界を地で行っていたのは彼女くらいではなかったか。
白塗りの男の奇怪な踊りと同じ土俵に出ても小夜子ならば負けはしない。

最近では、
「またも清順と共に映画『馬頭琴夜想曲』に出ているのかぁ。観に行きたいなぁ。
でもなんで名前が『小夜子』ではなく、『さよこ』なんだ?改名??」
などと、のんき君に暮らしていたら、山口小夜子は亡くなってしまった……。
喪失の時は誰も待ってはくれない――。


そんなこんなで、これも先日のこと。
渋谷に行ってきた。
東急で萌え〜萌え〜の『パンダ写真展』を見た後、
Bunkamuraで『ルドンの黒』オディロン・ルドン展へ。
なんだか想像以上に濃く、想像以上に盛り沢山の内容で正直驚き、
最近少々遠ざかっていた世界にあっという間に連れ戻されてしまった。
私にとって、ルドンというと、河出文庫ユイスマンス著『さかしま』の装丁画のイメージ。
いやはや、あれは本当に入り口で、奥は深い深い。
深すぎて出てこられるか心配だった。
リトグラフ『目気球』に繋がれているのは籠ではなく皿のような物。
それに乗るは、『サロメ』よろしく、ヨハネの首か――。
ううう。凄い。
この時代、ルドンが気球を描くことに固執した跡を見ると
ナダールなんかとも付き合いあったのかなぁ、などと後で思った。
一番凄かったのは、フロベール『聖アントワーヌの誘惑』の挿絵群。
まさに、「幻想の世界にようこそ」であった。
これを手にしてしまったらもう、現実には引き返せないであろう。

この本の造形化を勧めたのはエミール・エルカンという若い批評家だそうだが、
更にその5年後、ユイスマンスに再び勧められ、作画に着手したそうである。
「ルドンの黒」を最初に評価したのは、ユイスマンスマラルメら、
フランスの文化人だったようで、この時代は幻想文学好きにとっての偉人ばかりが芋づる式に繋がっている。
こうして、21世紀になっても表現者達に深い影響を与える多くの文化人が、
調べれば調べるほど面白いように影響しあっていて、お腹いっぱいになる。
館内で上映されていたルドンの絵画を動画化させたものがエラく秀逸で
DVDを思わず買い求めてしまった。
同じく買い求めた画集から、この映像、ベルメールやらルネやらフィニやら、
『撒羅米』やら『大鴉』やらと読んでしまうと、もう本当に現実には戻れなくなってしまう。
恐ろしいけれど、至極面白い世界なのだ。


などと、日々を過ごしていたらちょっとした病に掛かってしまった。
病院へ行き受付を済ませ、長い待ち時間を1時間半、家で過ごした後、
病院へ戻る(?)と、やはりまだ名は呼ばれないようだ。
想定して持参した『ギャラリーフェイク』を読み始めると、
ふと、最近読み直した安野モヨコ『監督不行届』のことを思い出す。
「カントクくんも風邪で寝込んだとき『ギャラリーフェイク』読んでいたな……」と。


更に『監督不行届』について。
買った当初は流して読んでいた「アニソンを歌いながら車に乗って温泉へ」のシーンで
歌われていたマニアックな曲が、今では知るところとなっていた……。一緒に歌えた……。
時の流れは怖い。