歌舞伎座さよなら公演二月大歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』ほか

ずっとずっと観たかった作品。
大好きな作品だからこそ、一度も生で観たことがないからこそ、
記念すべき初回は重要だと思って、ずっと配役を選んでいたところ、
歌舞伎座さよなら公演でこの奇跡の配役が実現。
佐野次郎左衛門=中村勘三郎
繁山栄之丞=片岡仁左衛門
八ツ橋=坂東玉三郎
「役者が揃う」とはまさにこのこと。
今、生きている役者で考えうる最高の配役だと思う。
とにかく、それぞれが役にピッタリ。
ということで、なんとかプレミアムチケットを取得し、観に行った。
土曜日の2階9列目。
さて、ここまでは普通に書いたが、
この日、私はこの演目を観て、人生で一度味わうことがあるかないかと謂う戦慄の体験をした。
それが何かは後々語るとして、
まず、この感想を語るについて、置いておけないのが、漫画『かぶく者』だ。
なんだ漫画?とお思いのあなた。まぁ、お聞きなさい。
この漫画は部屋子の駆け出し役者であるが、類稀なる才能を持った新九郎が
伝統・門閥を重んじる歌舞伎界で成長していく物語だ。
この漫画の最初に扱われるのが、『籠釣瓶花街酔醒』。
孤高の名女方、恋四郎(玉三郎?)が新九郎を前代未聞の大抜擢し、
歌舞伎の大名跡の跡継ぎである宗太郎(海老蔵??)と舞台上で戦う。
とにかく、この『籠釣瓶』は前代未聞の出来事が続くので、古参歌舞伎ファンには
あり得ないことの連続かも知れない。
例えば、誰がどう考えても栄之丞役かと思われた宗太郎に次郎左衛門の役を、
栄之丞の役には超新人で役もついたことがない新九郎を抜擢する。
恋四郎の目論みは舞台上であり得ない化学変化を起こさせてとにかく「綺麗」を演出すること。
その為に、宗太郎には「あばた面の化粧をしないと田舎から出てきたお人よ好しでぶ男の次郎左衛門を表現できないの?」と嗾け、
今では考えられない、普通の化粧で舞台に登場させたり、
顔も姿も誰が見ても色男の栄之丞は、アクシデントで顔に大きな傷を負い、
着物はズタズタ、裸足で舞台に登場し、観客や舞台上の役者を唖然とさせる。
しかし、それらは全て、次郎左衛門が遊里に初めて訪れた時、
八ツ橋を初めて見た時、八ツ橋に微笑み掛けられた時、
あばた面を取り去った状態でどういう顔(演技)をするか、
外見はボロボロの栄之丞がどうやって八ツ橋にすべてを捨てさせるほどの色を演じるか
を試しているということなのだ。
そして、その化学変化の基に起きた八ツ橋の最上の美、これが最も見せ場と恋四郎は思っている。
私はオペラグラスを手に、とにかく、それぞれの表情を見逃さないように、
目で見られる物以上を見ようと努めた。
幸いなことに、この漫画のお陰もあって、
役者の表情とは、ここまでのものなのか!と、とにかく「見せつけられた」気がした。
勘三郎が演じる次郎左衛門のそれぞれの場面での顔、
初めて見た八ツ橋の美しさにわなわなと震え上がり、微笑みかけられた際の自失した表情、
あばたを取り去ったとしても圧倒させる「次郎左衛門の顔」だった。
それらこそがあっての、あの玉三郎=八ツ橋の妖美な微笑の効果。
まるで怪のようなあの微笑は、次郎左衛門だけではなく、
客席までも一気に凍りつかせるようなものであった。
一方、仁左衛門の栄之丞は隅々までもが美しく、
帯の締めるところなどは惚れ惚れした。
権助の嗾けに対しても、金蔓がなくなるとか好きな女が取られるというような焦りではなく、
余裕がある怒りが感じられて、ただの間夫ではない。
満員の会場は水をうったような静けさで「縁切り」の場面に聞き入る。
八ツ橋の台詞に徐々に変わってゆく次郎左衛門の顔色。
身請けは嫌だと言い張る八ツ橋に、「何か事情があるのだろう」と言う次郎左衛門が
襖の向こうで伺う栄之丞に気づき、キッと振り返る。
先ほどの男は花魁の間夫じゃないか、と詰め寄る次郎左衛門へ
とうとう言ってしまう、八ツ橋止めの一言。
カッと目を開きながら、ぐぐっと堪える次郎左衛門の表情。
あの台詞は自分から言わせてしまうからこその次郎左衛門の苦しみのような気もした。
この場面は、太鼓もちから芸者、花魁、同業の商人、など舞台上にいるすべての役者の演技が素晴らしかった。
特に下男・勘太郎の懸命に主人を守ろうとする姿、魁春のまろやかな情があって、
あぁ、まだこの後、悲劇が待ち受けてるんだ、と思ったら余計やるせなくなった。
ところが、そんな憐れんだような柔な気持ちは一気に吹き飛ばされた。
とにかく、私はテレビでも観ることを避けていたので、
固唾を呑んで、八ツ橋が妖刀・籠釣瓶に切られる瞬間を待った。
待ち焦がれすぎて、一瞬「どうやって切られるんだっけ?」と訳が判らなくなった程。
とにかく、すべてを隠して愁傷に振舞う次郎左衛門が、
梯子の周りに人がいないか見てくれと八ツ橋を遠ざけた瞬間、
一瞬だけ人が変わったように、目を見開いて、両の足袋を脱いで座布団の下にに隠す姿は背筋が寒くなった。
次郎左衛門は「この世の別れ」の意味を尋ねる八ツ橋にやっと怨みを表し、
逃げようとする八ツ橋の着物の裾を踏みつけると
素早く手にした籠釣瓶で八ツ橋の背中をスルリと斬り割いた。
そして、その時は来た――。
八ツ橋の体は切られたことも判らぬように、その場に立ち尽くしたまま
音も立てずに徐々に徐々にと背中を反らせると
逆さになった今際の顔を客席に晒し、そのまま畳みの上に舞い落ちて死んだ。
まるで絹布が肩から滑り落ちるような情景であった。
これぞ、他の役者の美しさの上に成り立った、八ツ橋最上の美。
その瞬間を私はオペラグラスで覗いていた。
見たことすべてが奇跡のようで
その美しさに私は驚愕し、頭の中は真っ白になり
全身の力が抜け、背もたれに寄りかかると膝の上にオペラグラスを静かに落とした。
呆然としたままの私の目に、判っきりと残った記憶が涙として現れた。
こんなことで涙が出るなんて……。
そこで微かに意識を取り戻した私は、
「あ、この後の次郎左衛門の顔を見なくては!」となんとか現実に戻ろうとした。
「籠釣瓶はよく斬れるなぁ」
蝋燭の仄かな明かりに照らされて言った次郎左衛門の顔は
先ほどの怨みは消えた感嘆するような顔であった。

あんな経験は初めてで、一生に一度かも知れない……。
今考えると、あの瞬間は江戸川乱歩の『押絵と旅する男』で
男の兄が覗きからくりで押絵の女を見た瞬間に味わったものと同じかも知れないと思った。
あわや、私もあの中に入ってしまうところだった。
あんなの毎日やってるのかしら。
前半で「ぢいさんばあさん」やった後で?直前に次郎冠者やった後で??
そんな直ぐ切り替えられるの???
役者ってなんなの??もう訳が分かりません。
今となっては「歌舞伎座、建て替えてくれてありがとう!
仕事があるから観に行けないなんて四の五の言ってるやつ莫迦なんじゃねーの?!」
とすら思ってしまいます。
あれを観ることが出来たか出来ないかで今後の人生は確実に変わってくると思います。
というか、今後の人生に活かさないと!
もう『籠釣瓶』は今後観ないかも知れないなぁ。。。

語り出すと止まらぬが、我當秀太郎仁左衛門兄弟が舞台上に揃ったこと、
鶴松くんが初菊で出ていたことも嬉しい。
勘三郎さんが云っていたように、鶴松くんには是非『阿古屋』を演じられるような
女方になって欲しいなぁ。
三津五郎さん×福助さんの『壺坂霊験記』、勘三郎さんを始めとする中村座の『高杯』も良かった!